音楽プロデューサーの首藤明彦(音楽プロデューサ協会事務局長)が、大好きなニューオーリンズの話や、音楽好きの友人たちと織り成す日々を書き綴ったコラム日記。
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首藤明彦
コラム&エッセイ

東京的音楽生活

 
〜2001年9月25日


■2001-09/25(Tue)  フォーカスの想い出

木・金と大阪出張、土曜はかわはらさんとアウト・ドアと慌しく週末が過ぎ去り、今日はバンド2回目のリハーサルです。最近全然練習できていないので、どうなることやら。

最近は、上原君が送ってきてくれたJUNGOのCDに結構ハマっている。3曲目の「踏切の町」とラストに入っている「ひまつぶし」が気に入って、気が付くと歌ってたりして。特に「踏切の街」は、カラオケで私の重要なレパートリーとなっている大阪三部作のひとつ「大阪で生まれた女」(あとは「酒と泪と男と女」と「悲しい色やね」)と出だしの雰囲気が似ているので、思わず歌いたくなってしまうのだ。10月5日のライブでは、皆に気付かれないように、こっそり歌おう。

それから70年代前半に人気を博したオランダのプログレ系ロック・バンド、フォーカスの諸作がオランダで新たにCD化されたので、「ハンバーガー・コンチェルト」を購入、懐かしがって聴いている。何を隠そう、フォーカスは私が初めてコンサートに行った外タレ・バンドなのだ。あれは確か中学2年の頃、親戚の家で従兄弟に聴かせてもらった「ハンバーガー・コンチェルト」でその存在を知り、横浜から中野サンプラザまで聴きに行ったのだ。同行者は情けないことになんと母親、何故なら学校の友達の中にはフォーカス・ファンはまだいなかったからだ。

フォーカスは古楽器やバロックの世界の中心地、アムステルダムを首都に持つオランドのバンドだけに、クラシック(特にバロック)やジャズをロック的手法で料理したバンド・サウンドは、なかなか新鮮に聴こえた。特にギターのヤン・アッカーマンに強く惹かれた。サンプラザの座席は割と前の方だったが右端に近かった。お目当てのアッカーマンは残念ながら下手側、つまり舞台に向って左側だったため、オペラグラスを覗き込み食い入るようにその姿を追った。初めての外タレ・バンドのコンサートに、異常に興奮したのを覚えている。

そんな想い出があるからかどうか分からないが、ジャズを聴くようになってからプログレ系のバンドはあまり聴かなくなってしまった中で、フォーカスは何故だか今でもたまに聴きたくなる時がある。


■2001-09/18(Tue) 不幸続き

楽しみにしていたジャズ・ライン柏が延期になってしまった。友人のK峯さんが中心人物のひとりとして運営しているジャズ・フェスティバルだ。例のテロの影響で、在米ミュージシャンやこれからアメリカに行く予定のミュージシャンのスケジュール調整がつかなくなった為の、止む得ない措置とのことだ。

コンサートなどの興行では、そのまま突っ走ってやってしまう勇気が必要な時もあれば、きちんと状況判断した上で撤退する勇気が必要な時もある。今回は後者だったのであろう。関係者は大変だと思うけど、先を見据えた前向きの撤退ということで、延期公演実現に向けて頑張って下さい。

とここまで書いた所で今度は訃報が入ってきた。亡くなられたのは、私が最初に就職した音楽事務所で当事部長だったYさん、連絡をくれたのは当事の私の同僚(1年先輩)のAちゃんだ。Yさんと一緒に働いたのは、わずか1年ちょっとだったけれど(Yさんが他社に移ったため)、渋谷のバーや焼き鳥屋によく連れてってもらったなぁ、と昔の事を懐かしく思い出した。Yさん安らかにお眠りください。

いやなニュースが続き、暗い気分になってくる中での希望の光は、金曜に迫ったブライアン・ウィルソンの公演だ。と思ったのだが、彼もアメリカなので一抹の不安を覚えつつキョードー東京のホームページをチェック。するとやっぱりというべきか、無情にも公演延期の文字が目に飛び込んできた。嗚呼!


■2001-09/17(Mon) オーディオ

私はその昔(学生時代)、浜松町にあったメディア・バムというショールームでアルバイトをしていた。当時勢いのあったダイエーの経営によるショールームで、ニューメディアとして注目されていたレーザーディスク(見たいディスクを借りて、視聴できた)を始め、楽器、オーディオ、オートバイなどが展示されていた。

私が配属されたのは、オーディオと楽器を扱っているセクションで、当時各社が競って発売していたウォークマン・タイプの携帯用カセット・プレイヤーや普及品のコンポからオーディオマニアが使用するようなハイエンド・オーディオまで色々と展示されていた。そういえば当事発表から間もない頃で、やはり世間の注目を浴びていたCDも、ここでいち早く体験できた。

そういえばハイエンドのオーディオメーカーとして、特にクラシック音楽のファンに名高いタンノイのスピーカーを設置したリスニングルームもあったが、私はといえば、そんなハイエンド・オーディオには全く縁がない生活だった。が、かといってコンポなどには興味はなく、各社の普及品でシステムを組んでいた。

プレイヤー(もちろんアナログ)がデンオン、カートリッジがシュアー、カセットデッキがソニー(後ケンウッドに交代)アンプがサンスイ、スピーカーがダイヤトーンといった組み合わせだった。

今も大したシステムを使っているわけではないが(もう10年も変わっていない)、いまだにオーディオは大好きで、買うわけでもないのにオーディオ雑誌を熱心に見たり、オーディオフェアに行ったりするのは大好きだ。今年も大好きな輸入オーディオ・フェアの時期がやって来た。今から、最新のハイエンド・オーディオに接するのが楽しみだ。


■2001-09/13(Thu) ライブ三昧 その2

昨日はお茶の水ナルの元従業員で、その時に知り合った上原マサミツ君率いるJUNGO(ジャンゴ)のCD発売記念ライブを聴きに、吉祥寺のMANDA−LA2へ。

デコイという初めて聴くバンドがオープニング・アクトを務めたが、アーシーかつソウル・フィーリング溢れたロックンロール・バンドでなかなかヨカッタなぁ。見事なロック・バラードに変身した美輪明宏の「よいとまけの歌」には驚きました。

さて肝心のジャンゴ。ライブを聴くのは久々だが、上原君かなりパワー・アップしましたね。以前はもっとインストにも比重を置いた感じで、サックスやギターのソロも多かったが、今回は上原君のヴォーカル(とアコースティック・ギター)を中心に据え、焦点が明確になった感じがした。

全曲上原君の作詞作曲なので、ジャンゴは彼の作品を演奏するためのプロジェクト・バンドと捉えるのが正しいのかもしれない。曲によってバックのミュージシャンが変わり、結局舞台に登場したミュージシャンは彼を除いて12名。上原君の活動の集大成といった感じのライブでした。どの曲も「うえちゃんワールド」が感じられ、とっても楽しめた。

次のライブは10月5日(金)、高円寺のペンギンハウスで行なうとのこと。楽しみです。


■2001-09/12(Wed) ライブ三昧

先週の土曜日にかわはらさんとショーロ・クラブを聴きに行った。本来は野外でビールを飲みながら見るはずだったが、生憎の雨のためライブは屋内で行なわれた。従ってビールもなし。休憩時間に外へ出てテントの下でビールを飲んだが、結局後半は屋内に戻らず、そのまま外でビールを飲みながら、外に設置されたスピーカーから流れてくる演奏を聴いていた。

ショーロ・クラブの演奏はさすがのひとこと、心地よいブラジル音楽を聴かせてもらいました。

日曜は仕事がらみで、東京国際フォーラムのホールAで行なわれたロキシー・ミュージックへ。なかなかゴージャスなステージで、派手な衣裳に身を包んだダンサーも登場。ブライアン・フェリーは、歳をとっても、というか歳をとってより一層ダンディーになった気がする。とにかくカッコいい。ああいう風に歳をとりたいもんだ。

今回のロキシー・ミュージック再結成ワールド・ツアーで、一番興味があったのは、バックアップ・ミュージシャンとしてクリス・スペディングの名前があったことだ。黒ずくめの渋い格好でキメテ、オリジナル・メンバーのフィル・マンザネラと違い、無愛想に黙々とギターを弾く姿もまたブライアンと違った意味でカッコよかった。因みに今回彼は、奥さんと小さい子供を同行したとか。意外にも家庭を大切にするタイプなんだ。

更に、台風直撃で大変だった火曜には日本が誇る孤高のジャズ・ミュージシャン、POOさんこと菊地雅章さんのニュー・プロジェクトのひとつであり、彼にとって三つ目のトリオでもあるSLASH TRIO(菊地雅章 pf、菊地雅晃 b、吉田達也 ds)のレコーディング・ライブを聴くために、Irc2レコーディング・スタジオへ。

レコード会社の告知に曰く「激ヤババンド1stレコーディングはなんとスタジオ・ライブ収録だ。こんなことはこれが最初で最後!見のがせば生涯後悔する」。実は我がバンドのピアニストK峯さんがPOOさんのパーソナル・マネージャーをやっている関係で声をかけてもらったのだ。

スタジオに行くと、バンドのヴォーカリストNブちゃんとドラマーK林さん、更にお茶の水ナルの新オーナーHロ君、彼のもうひとつの日本人とのトリオのベーシスト、杉本さんも来ていた。ファースト・セットとセカンド・セットの休憩時間にDJの小林径さんも登場、K峯さんに紹介して頂いたが、みんなPOOさんの音楽が好きなんですねぇ。

そしてライブは相変わらず緊張感に溢れていた。今回一番楽しみだったのは、以前から噂には聞いていたが、聴く機会に恵まれなかったドラマー吉田達也さんのプレイが遂に聴けるということだった。そしてその演奏は、まさに自由自在のポリリズムといった感じで素晴らしかった。感激した(小泉首相の口調で)!

ライブ三昧は更に続く。


■2001-09/10(Mon) ジャズ・フェスト その2

ジャズ・フェストの時の必需品は、帽子に日焼け止めクリーム。とにかく陽射しが強いので、帽子をかぶり、尚且つ顔、腕、足などを日焼けクリームで防御しなければならない。この時に忘れがちなのが、耳と首の後ろ側だ。特に耳は盲点なので、気をつけてクリームを塗ってないと、あっという間に日に焼けて皮剥け状態になってしまう。

荷物は当然ながら、デイパックなどのリュック系が望ましい。中には、タオル、カメラ(ジャズ・フェストは、録音やビデオテーピングは禁止だが、写真撮影はOK)、雨対策用のウインド・パーカー、サイン獲得用のペンなどなど。

ジャズ・フェストに来て一番感じたのは、客が大人だなということ。これは勿論年齢の事を言っているのではない。日本だと我先にと前のほうに押し寄せる輩が多く、ステージの近くは押しくら饅頭状態で、小競り合いなんかもあったりするのだが、ジャズ・フェストではそんな光景を見たことがない。皆和気あいあいに、コンサートをピクニック感覚で楽しんでいるのだ。

なんせ10ステージ同時進行なので、人によってその楽しみ方は様々だ。ひとつのステージにしぼり、早くからステージの前のほうに椅子を置いている人もいれば、スケジュール表を睨みながら、あっちこっちのステージをハシゴする人もいる。私は勿論後者だ。

ジャズ・フェストのもうひとつの楽しみに、食べ物と飲み物がある。会場内は至る所に、食べ物や飲み物、グッズなどを販売している出店がある。私がなんといっても好きなのが、シュリンプ・クレオールという料理だ。私が最も好きなクレオール料理で、これは毎日食べても飽きない。お店によって味が結構違うのだが、ジャズ・フェスト会場のシュリンプ・クレオールはかなりイケる。

その次に好きなのがマンゴー・フリーズというマンゴーのシャーベットで、これを楽しみにしているジャズ・フェストのファンも多いはず。これをたべながら歩いていると、結構色んな人からどこで売っているのかと訊かれる。期間中、私はシュリンプ・クレオールとマンゴー・フリーズを、毎日一個ずつたいらげるのであった。


■2001-09/07(Fri) ジャズ・フェスト その1

ニューオーリンズ好きにとってのニューオーリンズの二大イベントは、2月若しくは3月にあるマルディグラと、4月末から5月初頭に開催されるジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバル、通称ジャズ・フェストだ。私はマルディグラを1回、ジャズ・フェストを2回経験しているが、今日はジャズ・フェストについて。

ジャズ・フェストには、98年、99年と2年連続で行った。音楽業界(特にコンサート関係)の仕事を長年やっている身にとって、そのフェスティバルの内容も勿論であるが、その運営方法(オペレーション)に非常に興味があった。ジャズ・フェストは、世界最大規模のポピュラー野外フェスティバルといってもいい大規模な音楽祭だからである。

ジャズ・フェストは毎年、だいたい4月最終週から5月第1週にかけて行なわれ、1週目が金・土・日、2週目が木・金・土・日の都合7日間、フェアグランドと呼ばれる競馬場を会場として、午前11時から午後7時にかけて、野外に設置された10ないしは11のステージで同時進行にコンサートが展開される。

ひとつのステージで、1日に5から6のアーティストが出演(多いステージでは10位)するので、10ステージではその10倍、そして7日間なのでそれを掛けると、まぁ凄い数のアーティストが出演することになる。

それが、フェアグランドという限られたスペースで行なわれるので、自ずからステージ同士は結構近い距離となり、ステージからステージへと容易にハシゴができる。野外フェスティバルの中には、ステージとステージの間の移動が大変なものもあるので、それだけでもジャズ・フェストは素晴らしい。

音楽のジャンルは、ジャズ、ブルース、R&B、ファンク、ゴスペル、ザディコ、ケイジャン、カントリー、フォーク、レゲエ、ラテン、クレズマー、ロックと何でもあり、まさにアメリカのポピュラー・ミュージックの見本市のような感じである。 (つづく)


■2001-09/05(Wed) ナル交遊録

いやはや、皆勤は難しいですね。ずーっと毎日書いていたけど、二日休んでしまいました。まぁ、息切れしないように頑張ります。というわけで、今日はお茶の水ナル(老舗のジャズ屋)関係の話です。

今週の月曜に、昔お茶の水ナルで店長をなさっていたI田さんが、門前仲町で今年の5月からやられている、ふぁるーかというジャズとワインのお店に行った。その日がI田さんの50歳の誕生日ということで、元ナル従業員のA部さん(我がバンドのバンマス)が幹事となって企画をしたのだ。

行ってみるとビックリ。当初数名と聞いていたのだが、初代店長のT沼さんご夫妻を始め、早々たるメンバーが集まって盛り上がっていた。年齢は私が下から二番目。皆さん、20年くらい前から知っている方ばかりだが、こうやって今も付き合ってもらえるのは嬉しいかぎりだ。

なんて思っていると、今日の昼過ぎに携帯が鳴った。登録していない見慣れない番号に、誰からだろうと思っていると、なんとこれまたナル関係者、久々のU原君からだった。

ジャンゴというバンドでヴォーカルとギターをやっているU原君のライヴを聴きに、10年位前によくラママやクロコダイルなどのライヴハウスに行ったものだ。

話しを聞くと、CDを出したので送ります、是非聴いてください、またCD発売記念ライヴもやるんです、とのこと。いやー、まだ頑張っていたのか、と思うとこれまたとっても嬉しい。CDもライヴ(9月12日 MANDA−LA2)も楽しみだ。


■2001-09/02(Sun) ウッドストック

早いもので、今年ももう9月。夏も終わりですねぇ…。そんな過ぎ行く夏を惜しみ、夏といえば野外音楽フェスティバル、ということで「ウッドストック」のDVDを久しぶりに引っ張り出してきて見た。オリジナル版に未公開ステージを追加した、ディレクターズカット版だ。

なぜ急にこれを見ようと思ったかというと、まぁ単にここ数日、以前も書いた最近購入したテン・イヤーズ・アフター(TYA)の未発表ライヴCDと、更に最近購入したバッファロー・スプリングフィールドのボックスCDを良く聴いているからだ。

そして「ウッドストック」にはTYAの一世一代の名演“アイム・ゴーイング・ホーム”(TYAはこれで一躍人気バンドになった)や、バッファロー・スプリングフィールドの中心人物だったニール・ヤングとスティーヴン・スティルスがスプリングフィールド解散後に結成し、当時最高の人気を誇ったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの演奏が収められているのだ。

そういえばTYAもスプリングフィールドも、共に中心はフロントを務めるヴォーカリスト兼ギターリスト(TYAはアルヴィン・リー、スプリングフィールドはニールとスティーヴンとリッチー・フューレイ)だが、どちらもリズム・セクションが素晴らしい。やはりバンドの良し悪しはリズム・セクションにかかっているなぁ、と再認識。

バンドの次回のリハーサルまでに、ドラムのK林さんとリズムセクションの練習でもやろうかなぁ。


■2001-09/01(Sat) オー・ブラザー!

天才コーエン兄弟の新作「オー・ブラザー!」が遂にというか、やっと日本でも公開される。はっきり言って、これは傑作ですね。特に私のようにアメリカン・ルーツミュージックに目がないような人間には、作品全体を通して使われている音楽だけでも充分に楽しめた。

実は私は、4月に仕事でマドリッドに行った時に飛行機の中でこの作品をいち早く見ることができたのだが、もう見てる最中から興奮した。作品全体に流れるユーモアのセンスも私好みだし。

因みにこのサントラ、ビルボードのアルバム・チャートで15位(カントリー・チャートでは確か1位)を獲得したとか。こういう、ヒット・チャートとは余り関係ないような音楽をちゃんと買うアメリカのリスナーは、大したもんだ。

とにかく、アメリカの南部の音楽に興味ある人にも、単にコメディ映画が好きな人にもお勧めできる、この秋一押しの映画なのだ。ジョージ・クルーニーもカッコいいしね(この作品でゴールデン・グローブ賞最優秀主演男優賞を受賞!)。


■2001-08/31(Fri) ライヴあれこれ

今日はバンドのヴォーカリスト、Nちゃんの知り合いが恵比寿でブルースのライヴをやるというので、ドラムのK林さんと3人で出かけてきた。お店は何とかわはらさんとよく行く、Jというお店の直ぐ近くだった。

店はアメリカによくある典型的なライヴ・ハウスという感じで、なかなか雰囲気がある。客も半分近くが外国人で、さすが恵比寿!と感心しつつ、ギネスを飲み、キッシュを食べながらライヴを待った。

さて、バンドはヴォーカル&ギターとドラムが黒人、ベースとキーボードが日本人、途中で白人のハーピストが加わるといった感じだったが、さすがノーチャージ、見事にアマチュアでした。

あのプレイで金はとれないよ、というK林さんの意見に頷きながら、我々はファースト・セットで店を後にし、Jの直ぐ隣にあるバーへと場所を移したのでした。でもライヴはいいよね、楽しみました。

さて、明日はかわはらさんとショーロ・クラブ、更にあと3週間で愛しのブライアン・ウィルソン先生のライヴが拝見&拝聴できるのだ。2年前のコンサートは、平常心で聴けなかったが、好調が伝えられるブライアン先生、今回はしっかり楽しむぞ。


■2001-08/30(Thu) ニューオーリンズ レコード編その4

初めてのニューオーリンズ行きで、見たかったライヴの筆頭がスヌークス・イーグリンだったことは前に述べたが、では見つけたいレコードの筆頭は何だったかというと、それはブラック・インディアンのファンク・バンド、ワイルド・マグノリアスのセカンドアルバムだった。

スヌークスがギターを弾いているファーストは、私は既に持っていたし、当時のニューオーリンズのレコード屋でもプレミアが付いているとはいえ、シールド(新品)を$50で手に入れることができた。今でこそCD化され、誰でも聴けるようになったが、当時セカンドは周りにも誰も聴いた人がなく、まさに幻のアルバムだった。

さて、ニューオーリンズの滞在も何日かを経過し、フレンチ・クォーター周辺のレコード屋はとりあえず制覇したので、新たな店をイエローページを見て捜す事にした。そして私の目に飛び込んできたのは、その名もジム・ラッセル・レア・レコーズ。うーん、何か掘り出し物が見つかりそうな名前ではないか。

というわけで、皆でまたタクシーに乗り、マガジン・ストリートにあるその店へ向った。店には偏屈というか、頑固そうな爺さんがレジに座っていた。あの爺さんがジム・ラッセルなのだろうか?

さてこの店、値段は特に安くはないが(特に地元のアーティスト)、まるでレコードの墓場のごとく探していたレコードが無造作に置かれている。ミーターズなんて、平済みでドカンとある。私は、ミーターズ、ネヴィルズ、ストークス、マック・レベナックなどの地元のアーティストや、大好きなインディアン・ギタリスト、リンク・レイの7インチ・シングルを買う事にした。

そして暫らくするとNさんが、首藤さん、ワイルド・マグノリアスのセカンドのジャケットがありましたよ、と興奮した口調で話し掛けてきた。いやはや、初めて拝む幻のジャケット。しかしそれは、店の爺さんのもので、売り物ではなかったようだ。我々は、ジム爺さんに頼んでレコードをかけてもらった。いやー、なかなかカッコいい。さすがニューオーリンズ、色んな事があるな、はるばる来て良かった、としみじみ感じたのだった。


■2001-08/29(Wed) ニユーオーリンズ レコード編その3

今回もニューオーリンズにおける吸(求)盤力発揮第2弾、ニューオーリンズ初訪問の時に話は戻ります。

初めてのニューオーリンズ旅行で行ったレコード屋の中で、非常に印象に残っているレコード屋にゴールド・ワックスがある。Bさんがお店に電話をかけてやっていることを確認し、郊外にある店に皆(4名)とタクシーで乗りつけた(かなり遠い)。

そこはなんと家一軒が丸々レコード屋になっている店だった。早速皆でちらばって、あっちの部屋こっちの部屋といった感じで見てまわったが、凄い量だ。気が付くと腕いっぱいにレコードを抱えていた。

店のおじさんが二階に7インチ・シングルがあると言うので、LPをカウンターに預け、二階のカギをあけてもらい、上がっていった。すると圧倒されそうなとんでもない量のシングル版が目に飛び込んできた。一応アルファベティカルにはなっているが、時間が限られているので、これはアーティストを絞って捜さないととんでもない事になる。

この時なぜか頭をよぎったのは、地元ニューオーリンズのアーティストではなく、以前から大好きだったディープ・ソウル・シンガーのウィリー・クレイトンが、幼い頃南部のマイナー・レーベルに吹き込んだという幻のデビュー・シングルだった。

そしてそれは本当にあっけなく見つかった。あまりにも簡単に見つかったので拍子抜けしたくらいだが、それでも貴重なお宝発見で興奮した。そして自分の吸(求)盤力に感謝した。

残念ながら機会に恵まれず、私はまだウィリー・クレイトンのライヴに接したことがない。今年のニューオーリンズ・ジャズ・フェストに出演したようだが、今年は行けなかったし。いずれライヴに行く機会があれば、是非このシングル盤を持っていき、スリーヴに本人のサインを貰いたいものだ。


■2001-08/28(Tue) ニューオーリンズ レコード編その2

レコード編ですが、話しがちょっと昨日からはそれます。

一時期、吸盤力(若しくは求盤力=共にきゅうばんりょく)が異常に働いた時期がある。何かといえば、捜している欲しいレコードを探し当てる力の事で、この力がある日は、あっ、今日はずーっと捜していたあのレコードが見つかるのでは、と直感が働くのだ。きっとレコードの方から、私に探し当ててくれとパワーを送ってくれているのだろう。

最後にニューオーリンズに行った99年もそんな経験をした。帰国の前日の午前中、レコ屋廻りができるのも今日が最後なので何処へ行こうかと思いをめぐらした。午後の早い時間には、ジャズ・フェストの会場に行かなければならないので、じっくり見るためには一軒に絞らなくてはならない。熟考の結果、数日前に足を運んだが時間の関係でじっくり見ることができなかった、フレンチ・クウォーター内にあるマジック・バスという店に決めた。

アルファベティカルに並んだアナログ盤のえさ箱の前で、これは探すレコードを何枚か決めてかからなければ、と思い何にするか少し考えた。そしてその中の数枚を捜したが、残念ながら収穫がない。うーん、今日は駄目かと思った瞬間、そうだ、クライディ・キングのファースト・アルバム「ダイレクト・ミー」があったじゃないかと思い出し、Kのところを捜す事にした。

そしてKのところをパラパラと見始めた矢先、あの「ダイレクト・ミー」のジャケットが目に飛び込んできた。中古だし、ジャケットもミントとは言えないが、まぁまぁのコンディションだ。このレコード、日本ではめったに見かけないし、見つけてもジャケットのコンディションが悪い事がほとんどで、ミント盤(新品同様)などお目にかかったことがない。

よし、と小さくガッツポーズを決めレコードを手に取ると、なんとビックリ。そのレコードの次にもう1枚「ダイレクト・ミー」があった。そしてそれは正真正銘のシールド(封を切っていない新品)だったのだ。そしてその値段。日本では中古でもそれなりの、いい値段をつけていたこのレコードが、新品でたったの$7なのだ。これには正直驚いた。

そしてこのレコード、製作されてから約30年、ずっと私という買い手が現れるのをこのニューオーリンズのレコード屋で待ち続けていたと思うと愛着もひとしおだ。最後の最後に宝を探し当て、ホクホク顔で99年ニューオーリンズ旅行のレコード買いを打ち止めとした。

日本に持ち帰ってから、早速聴いてみると、これが期待に違わず内容もバッチシで素晴らしい。当然ながらそれ以来愛聴盤となり、レコード棚のいつでも直ぐに取り出せる所に置いてある。


■2001-08/27(Mon)  ニューオーリンズ (レコード編)

ニューオーリンズの話しの続きをします。

ニューオーリンズで最初に入ったレコード屋は、ライヴ情報を仕入れるために入ったタワー・レコードだった。その頃(91年2月)日本の大型レコード店は殆どLPからCDへの移行が済んでいたが、ニューオーリンズのタワーレコードにはまだLPが沢山残っていた。

見ると、見た事もない地元ミュージシャンのLPがうじゃうじゃとある。結局、最初のタワーレコードで、ザディコやルイジアナ・ブルースのLPやアラン・トゥーサンの詩集などを買い漁ってしまい、これから先どうなるんだろうとちょっと不安が頭をよぎった(結局その不安は見事的中)。

この頃は、街中にもいたるところにマニア向け?のアナログ・レコード屋があり、店を見つけるたびに皆で壮絶なレコードの奪い合いが繰り広げられた。皆、結構捜しているレコードがダブったりしているので、なかなかの厳しい戦いになる。そして驚いたことに、ここニューオーリンズには日本じゃなかなかお目にかかれないブツがごまんとあり、また値段も信じられないほど安い。

タワーの次に入ったレコード屋がまず強烈だった。当時日本のソウルやR&B愛好者御用達の店で高値をつけていた、ストリート・コーナー・シンフォニーのLPが、ちょっとジャケットがくたびれていて、盤もミントじゃなかったけど、なんと$1という値段で売られていたのだ。これは、とりあえず挨拶代わりで即買いとした。

そしてこれがコレクター魂に火をつけ、それから半月に渡る壮絶なレコード購入バトルが始まるのだった。   (つづく)


■2001-08/26(Sun) 音のまつり

昨日の「音のまつり」は午後3時から10時近くまで、ライヴを堪能した。ウシャコドモアナーは、本当にウシャコダ+子供バンド+アナーキーの合体バンドで、ボーン・トゥ・ビー・ワイルド、サマー・タイム・ブルースなどなど懐かしいナンバーを連発、エンターテインメント精神に溢れた楽しいステージだった。

そしてトリの金子マリ&森園勝敏、本当にグレイト!ヴォーカルもギターも歌心に溢れていた。

そして個人的には藤井康一さん率いるLittle Jive Boysが楽しめた。日本語でのJiveは歌詞のノリがポイントだと思うけど、このトリオはお見事。芸達者だしね。

ボランティアを中心に運営されていたこのイベントは、手作り感が魅力的。お客さんの入りが少なかったのが残念だが(多過ぎなくていい、という話しもあるが)、私は是非来年も足を運びたいと思っている。


■2001-08/25(Sat) ニユーオーリンズ その7(番外編)

今日は、上福岡で開催される野外チャリティーフェスティバル「音のまつり’01」というのに行ってきます。出演は、森園勝敏&金子マリ、大塚まさじ、ウシャコドモアナー(ウシャコダ+子供バンド+アナーキー?)、石川二三夫&小出斉、JINMOなどなど、他にも多数出演するようです。では、昨日の続きを。

この時のアール・キングはテレビ収録され、後日日本でもBSで放送されたのだが、BSが見られる環境にない私はその放送は見ていなかった。するとある日の飲み会で、ブラック・ミユージックのビデオ・コレクターとして有名なSさんに「アール・キングのライヴで首藤君目立ってたねぇ」と言われ驚いてしまった。訊くと、最前列で踊りまくっていた私はその時かぶっていた帽子のため、うしろ姿ながらかなり目立っていた、というのだ。

どういう帽子をかぶっていたかというと、よくレゲエ好きの人がかぶっている丸く編んだ帽子(名前を何というのか知らないのでスイマセン)のラスタ・カラーではない、マルディグラ・カラー(黄、緑、紫)のものだ。これは、フレンチ・クォーターのはずれにあるフレンチ・マーケットで見つけて購入したものだが、後にも先にもマルディグラ・カラーのものを見かけたのは、この時だけである。これは結構珍しかったのか、道行く人に何回か、どこで買ったのかと訪ねられた。

結局、Sさんの家で開かれた新年会に呼んでいただいた時に、そのビデオを見たが、うーん、あの帽子は確かに目立つ。今となってはちょっと恥ずかしい。

テレビに映ったといえば、この年(91年)はもう1回ライヴの放送で経験した。この頃はワールド・ミュージック花盛りの頃で、私もインドネシアや沖縄、アフリカに中東、そしてカリブや南米と色々な国の音楽に夢中になっていた。

そんな時にタイムリーな企画として、ウォーマッドというワールド・ミュージックの祭典ともいえる野外音楽祭が、横浜で3日間に渡り開催された。その初日にテックス・メックス界の巨匠、アコーディオンのフラーコ・ヒメネスが自分のバンドを率いて出演した。

テックス・メックス好きの私は、早くから最前列に場所をとった。ライヴが盛り上がってきたところで、まぁ、お約束というか、ポピュラーな曲ということでラ・バンバが始まったのだが、途中でマイクを持ったフラーコがステージ下に下りてきて、ガードのための柵の向こう側から最前列の客にマイクを差し出し、順番にラ・バンバのコーラス部分を歌わせ始めた。

当然私の前にやってきてマイクを差し出したので、ここで尻込みして歌わなけりゃ男がすたる、というわけで当然歌ったのだが、なんとこのライヴ、BSで中継放送されていたのだ。

後日やはりSさんから、首藤君映ってたよ、と聞かされビックリ。この映像は是非欲しかったので、ツテを使ってあとでビデオを入手した。私のお宝映像なのだ。


■2001-08/24(Fri) ニューオーリンズ その6

昨晩は代々木のDへ飲みに行き、マスターのMさんからベースの講座を受けてきました(因みにMさんはドラマーです)。練習しなくては。ニューオーリンズの話しの続きです。

さて、カリプソ・ローズとのデュエット&楽屋訪問で、更にテンションが上がった私が次に選んだのは、ニューオーリンズ・ブルース及びR&Bのレジェンドのひとりであり、尚且つ現役バリバリで新作もリリースしているアール・キングだった。

この日のライヴにはテレビの収録か何かで、カメラが入っていた。そしてメンバーが登場、ベースはなんとミーターズのジョージ・ポーターJr.だ。そして御大アール・キング先生は、すでにアルコールで出来上がっているようで、目が充血している。ヴォーカルも少しロレツがまわっていないような感じだが、まぁそれが許されるのもアール・キングの人徳か?我々はまたもや最前列で盛り上がった。

ファースト・セットが終わり客の方へやって来たアール・キングに話しかけると、アドのことを知っているか、友達なんだ、と言う。皆一瞬えっ、と思ったが、よく聞くと水森亜土さんのことだった。御大、かなりアルコールが回っているようで、ご機嫌だった。

そしてしばらくするとBさんが興奮した口調で、首藤君、ロビー・ロバートソンだ、と声をかけてきた。驚いて右手を見ると、それは紛れもなくアメリカン・ロック最高峰のバンドとしてとして君臨してきたザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンだった。

こういう時に、妙なクソ度胸のある私は、ロビーに「一緒に写真を撮らせていただけませんか?」と声をかけた。ロビーからOKをもらい、私とBさんはロビーと一緒に写真に収まった。いやはや、ニューオーリンズは何が起こるか分からない、すごい場所だ。そしてこの写真も、後にミュージックマガジン誌の誌面を飾った。            (更につづく)


■2001-08/23(Thu) ニューオーリンズ その5

台風一過、今日はさすがに暑いですね。さて、かわはらさんがBBS(掲示板)を作ってくれました。左上のMassage BoadをクリックするとBBSの画面が出てきます。伝言、質問、感想など何でも構いませんので、お書き込み下さい。では、カリプソ・ローズの続き、今日は長いですよ。

カリプソの大きな特徴に歌詞の重要性がある。カリプソニアンは、その時の社会の出来事など皆の関心事をリズムに乗せて、節を付けながら歌い語っていくのだ。したがってカリプソニアンの歌は、一般的な意味での「歌がうまい」というのとは違う。はっきりいって美声の持ち主はいないし、ラッパーなどと同じように、その歌詞の内容とそれをどうリズムとメロディーに乗せられるかが重視されるのだ。

さて、カリプソ・ローズのライヴはダンサブルなソカの連発で進められていったが、後半に入りお待ちかねアコースティックなカリプソのコーナーになった。すると驚いたことに、カリプソ・ローズは来ている客をネタにして即興で歌詞を作り歌っていく。例えばスーツとドレスでキメた黒人のカップルがいると、そのカップルの方を見ながら、ふたりの仲を茶化すようにユーモアをたっぷりに歌っていき、それを聞いた観客たちは大笑い、といった具合なのだ。

そうなるとこちらは部が悪い。Nさんはいつの間にかテーブルからいなくなり、後ろの方へ行ってしまっているので最前列のテーブルに一人で座っている日本人は、彼女から見れば格好の餌食だ。案の定、彼女の視線が私に向かい、カリプソ・ローズは私をネタにして歌い始めた。

ニューオーリオンズもそうなのだが、カリブ海もアジア人といえば中国人だ。華僑は全世界に散らばってコミュニティを作っている。従ってカリプソ・ローズから見ればイエローの私はりっぱな中国人なのである。なまりの強い彼女の英語はうまく聞き取れなかったが、その歌詞は「中国人の男の子がひとりで私の歌を聴きに来ている。私の島まであなたを連れて帰ろうかしら」みたいな内容だったと思う。彼女から見れば、中国人がカリプソを聴きに黒人居住区の店にひとりで来ているのは、かなり奇異に映ったことだろう。

さて、ライヴはソカに戻り、大盛り上がりの中最後の曲のエンディングとなった。最後は、アーメンのコール・アンド・レスポンスだ。カリプソ・ローズがエイメンと叫ぶと、客もそれに応えエイメンと叫ぶ。するとマイクを握りしめエイメンと叫びながらカリプソ・ローズが舞台から私の方に向ってくる。やばい、そう思ったのも束の間、カリプソ・ローズは私の前にマイクを突き出し、彼女と私のコール・アンド・レスポンスが繰り返された。

いやはや、緊張して頭は真っ白、冷や汗ダラリといった具合だが、なんとエンディングのメロディーが付いた「エーイメン、エイメン、エーイメン」という歌の部分を歌うはめになり、店中の観客の拍手を浴びてライヴは終了した。ここに、「カリプソ・ローズとデュオをした唯一の日本人シンガー」が誕生したのだ。

さて、思わぬ大役を無事に終えホッとしていた私に、お店で先ほどカリプソ・ローズのレコードを売っていた黒人のおじさん(実は彼女のマネージャー)が楽屋に行かないか、と声をかけてきた。これはラッキー、はい行きますと、おじさんの後について行った。楽屋に入るとカリプソ・ローズは顔じゅうに笑みを湛えて、あなた歌うまいじゃないの、といいながら私が買ったレコードのジャケットにサインをしてくれた。するとマネージャー氏は気を使ってくれ、カメラ持ってるだろ(実は彼女のステージもバチバチと撮っていた)、写真撮ろうか、と言って私とカリプソ・ローズのツーショット写真を撮ってくれた。いやー、嬉しい。

さて、後日この時のステージ写真はNさんがラティーナ誌に執筆したニューオーリンズ・レポートの記事に使用され、これまた懐かしい想い出の貴重な記録となっている。


■2001-08/22(Wed) ニューオーリンズ その4

昨晩はNARUバンド(仮称)最初のリハーサルでした。練習した曲は “Fly Me To The Moon”(ボサノヴァ)と “You’d Be So Nice To Come Home To ”(フォービート)。結果は...、まぁ言わなくてもわかると思いますが、なかなか悲惨なもので。次回までに練習を積もうと思っております。目指せ××ジャズ・フェスティバル(バンドのピアニストがプロデューサー)出演!というわけで、ニューオーリンズ初訪問の続きです。

前日のスヌークス・イーグリンのライヴの興奮もさめやらない三日目。この日のライヴもNさんと意見が一致、黒人居住地にある今はなきライヴハウス、キリマンジャロであるカリプソ・ローズに決定した。

実はこの頃、ニューオーリンズの音楽と並んで夢中で聴いていたのが、カリブ海に浮かぶ島国トリニダード・トベイゴ(トバゴ)の音楽カリプソだった。ニューオーリンズはカリブ海の北端と考えることもできるし、ニューオーリンズとトリニダードの古い音楽を聴いていると、色々な共通点を感じることがある。どちらもカーニヴァルが有名だしね。

日本にはなかなか本格的なカリプソニアンが来ることはないので、カリプソ・ローズのようなレコードのリリースも多いベテラン・カリプソニアンのライヴは大変貴重だ(女性も珍しい)。お店の近くで行なわれていたマルディグラのパレードを堪能した後(これが初めて見たパレードで、その規模の大きさに驚いた)キリマンジャロに向った。

延々と待たされてライヴが始まる頃には、お店もたくさんの人で賑わっていた。客の構成は、95パーセント以上が黒人で残りが数名の白人と我々2名のイエローといった具合。はっきりいって我々は完全に浮いていた。なぜならば黒人の多くはきれいに着飾ったり、スーツでキメたりしている。とはいいながらも、最前列のテーブルに陣取りライヴを待った。

そしていよいよカリプソ・ローズ登場。小柄ながらコロコロと太っていて、丸い顔いっぱいに笑みを浮かべながら歌い始めた。ライヴはオーソドックスなカリプソではなくソカ(ソウル・カリプソ=カリプソのダンス・ミュージック)を中心に進められていった。そしてこの後、予想だにしなかった展開が私を襲うことになる。    (つづく)


■2001-08/21(Tue) ニューオーリンズ その3

かわはらさんのを読んでまたビックリ。厚木基地にはタコベルもあったんですか。あそこのソフト・チキンタコがすごく気に入って、チリ・ソースを大量にかけて食べたものです。因みに当時の値段はたしか1個¢99、そう$1しなかったんです。というわけで、ニューオーリンズの話しが続きます。

初めてのニューオーリンズ訪問(91年2月)での大きな目的はふたつあった。ひとつは、日本ではなかなか手に入らないレア盤レコード探し、そしてもうひとつは、日本には多分来ることがないだろう、まだ見ぬニューオーリンズ・レジェンドたちのライヴを見ること。

今でこそ、タワーレコードに行ってニューオーリンズの音楽情報誌「オフビート」をゲットしライヴ情報を入手したり、インターネットで主要ライヴハウスのプログラムを調べたりと、事前に容易に下調べができるようになったが、当時は行ってみないと分からない状態だった。

一緒に行ったNさんとも、誰々はライヴやってるのかな、と期待に胸を膨らませながらの会話をしたものだが、なんと見たいアーティストの第1位は同じだった。そう、ニューオーリンズが生んだ伝説のブルースマンで、当時ブラック・トップというレーベルからとてもヒップなアルバムをリリースし、健在ぶりを見せつけたスヌークス・イーグリンだった。

しかし、当時彼のライヴを見たという人は周りにはいなかったし、ライヴ活動をやっているのかどうかも不明だった。我々は「神様スヌークス」のライヴがありますように、と祈っていた。

さて到着日、長旅をしてきた上、夜中にやっとカプリ・モーテルに居場所を見つけた我々は、翌日からの活動のためこの日はおとなしく休む事にした。翌朝、ライヴ情報を仕入れるためにタワーレコードへ行き、当時あった情報誌「ウェイヴ・レングス」を手に入れた。そしてライヴ情報をチェックすると、じゃじゃ〜ん!あった。なんとその日に、マディ・ウォーターズというお店に神様スヌークスが出るではありませんか。というわけで、ニューオーリンズでの初ライヴは未だ見ぬ巨匠、「人間ジュークボックス」ことスヌークス・イーグリンに決まった。

その後彼の日本での知名度、人気も高まり、なんと来日したし、またニューオーリンズでも何回かライヴを見ることになったが、やはり衝撃度からいってこの時のライヴが一番印象に残っている。スヌークスは盲目のため、椅子に座ってギターを掻き鳴らし、歌をうたう。レパートリーは2,000曲ともいわれ、そのジャンルも多岐に渡っているのが「人間ジュークボックス」と呼ばれる所以である。

この時は最前列でスヌークスのまん前に陣取った。スヌークスが出てきて、目の前に座る。そしておもむろにギターを鳴らし、歌い始めた。いやはや、もう感激!そしてその右手の動き。いったいどうなってんの、というワンアンドオンリーな弾き方だ。私は演奏に酔いしれながらも、バチバチとカメラのシャッターを押した。

この時の写真(かわはらさんみたいにプロじゃないので、まぁスナップ写真みたいなものです)は、帰国後ミュージック・マガジン誌のカラーページで使用され(Bさんのレポート記事の添え物のようなものですが)、スヌークスのライヴ初体験の想い出の貴重な記録となっている。


■2001-08/20(Mon) ニューオーリンズ その2