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首藤明彦
コラム&エッセイ

東京的音楽生活













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またまたレッド・ロータス - < 2002 8/29 >
昨晩はかわはらさん、設計家のMさんと六本木のゴールデンバーニング/GOLDENBURNINGで待ち合わせ、食事をしたあと麻布十番のバー、インフォキュリアスへ。レッド・ロータスの3回目のライヴが行なわれた。

ファースト・セットの終わりごろに到着したので、セカンド・セットをメインに聴いたが、バンド・サウンドがタイトになり無駄な音が減ってきた。それでもセカンド・セットは全4曲、そう、1曲は充分な長さを持っているが、冗長な感じはしない。メンバー同士が出す音も、以前より有機的に絡み合い、いよいよこれからの展開が楽しみになってきた。

このまとまってきたサウンド、もう少しまとまった所で、次はどうそれをぶち壊していくか。近い将来ハプニングが沢山生まれるステージが展開されるようになるのでは。次回は渋谷のJZ Brat、また大挙して押しかけよう。

ライヴ終了後はレッド・ロータスのメンバー4人、かわはらさんと共に下北沢のリヴォルバーへ移動。メンバー一人一人に音楽的バックグラウンドを聞いたりし、ちょっとインタビューモードに。

もうこの時点で終電もなく、それじゃあ朝までということで、メンバー3人と私の4人で近くの中華料理屋へ。色んな音楽話で盛り上がり、楽しいひと時を過ごせた。結局、リーダーの鈴木さんと一緒に始発で帰宅。今日は眠たい一日だった。

モンキーズ・フォエヴァー - < 2002 8/21 >
記憶にある私の洋楽初体験であり、最初に夢中になった洋楽アーティストは、モンキーズだ。幼稚園から小学校低学年にかけての頃だっただろうか(66年〜68年)、毎週やっていたテレビ番組を、夢中になって見たことを覚えている。当時アメリカの音楽チャートは、ビートルズを初めとするイギリスのミュージシャンに荒らされていた。所謂ブリティッシュ・インヴェンジョンだ。

そんなイギリスのミュージシャンに対抗すべく、アメリカの音楽業界が総力をあげて創り上げたバンドがモンキーズだ。65年の秋にオーディションによって選ばれた4人の若者による、コミカルなテレビ・ドラマとしてプロモーションが展開されたが、その中心になったのはなんといってもその音楽だ。

当時の一流のコンポーザーによる流行を敏感に取り入れた楽曲、一流スタジオミュージシャンによる完璧な演奏。彼らはそこに歌を乗せただけだが、完璧なプロダクションによって創られた音楽だけに、その完成度は非常に高い。極上のポップスであり、ロックだ。

4人の若者、デイビー・ジョーンズ、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツ、マイク・ネスミスのキャラクターもその人気に一役買ったといえるだろう。更に日本では吹き替えに当時のアイドルを起用、その人気に拍車をかけたといえる。因みに吹き替えを担当したのは、高橋元太郎(デイビー)、太田博之(ピーター)、鈴木やすし(ミッキー)、長沢純(マイク)。みごとに私の一世代、いや二世代前のアイドルたちだ。

中学生になり、ロックを中心とした洋楽を熱心に聴き始めると、創られたバンドである彼らがなんとなくイミテーションに思えて、すっかり私の興味の対象外になってしまい、長いことその音楽に触れる事はなかった。70年代の刺激的なロックシーンにあっては、彼らの音楽はもはや古臭いものに思えたし…。

しかし、90年代になり昔の色々な音楽が見直され、発掘、リイシューされるなか、わたしはモンキーズとの再会を果した。ライノが発売した4枚組みのCDボックスで。久々に聴くモンキーズの音楽はとにかく素晴らしく、直ぐに夢中になった。60年代後半のアメリカン・ポップスの旨味が全て詰まっているようだ。

そういえば、以前モンキーズのテレビ・ドラマがレーザーディスクのボックスとして発売されたが、異常に高かったため、購入し損ない、後々悔しい思いをした。彼らのCDを聴きながら、テレビ・ドラマがDVD化されるのを首を長くして待つことにしよう。

ザ・クイーンズ コンサートのブライアン - < 2002 8/18 >
皆さんは、NHKで17日深夜に放送された「ザ・クイーンズ コンサート〜エリザベス女王戴冠50周年記念」はご覧になられただろうか。6月にバッキンガム宮殿前の広場で開催されたこのコンサートに関しては、音楽雑誌の情報やすでに輸入盤レコード店に並んでいるDVDで知っていたが、まだ未見だったため、ブライアン・ウィルソン見たさに夜更かしをして見ているところだ。

ブライアンの登場は午前3時少し前、ミスター・サーフィンと、陳腐でちょっと的外れな紹介をされて(ミスター・ポップスの方が相応しいだろうに)バンド・メンバーと共に登場。イギリス・ツアー前とあって、大所帯のバンドのメンバーが皆揃っているのが嬉しい。

ブライアンといえば、ライトの加減で正確にはわからないが、紺のダークスーツだろうか。ピンクのネクタイがかわいい。さて、ヤマハのキーボードの前に座り、始まったのはカリフォルニア・ガールズ。相変わらず、バンドの鉄壁のバッキングが頼もしい。そしてブライアンの紹介で登場したのが、なんとエリック・クラプトン。

ブライアン・サウンドにクラプトンのギターというのも、こういうイヴェントじゃなきゃ聴けないしろものだ。曲はウォームス・オブ・ザ・サン。絶品、泣けてきます。更にコアーズをゲストにゴッド・オンリー・ノウズ、そしてポップス史上最高の1曲、グッド・ヴァイブレーション。4曲もやってくれて、やはり破格の扱いともいうべきか。充分堪能した。

さて、その後クラプトンによるレイラ、スティーヴィー・ウィンウッド、ジョー・コッカーと60年代後半〜70年代前半のブリティッシュ・ロック好きには堪らない人が続々登場。今、ジョー・コッカーがシャウトをしている。うーん、もっと見たいが、そろそろこの辺で寝なくちゃね。おっと、今度はキンクスのレイ・デイヴィスだよ。おいおい、寝かせてくれよー!

闇市的味噌カツ屋 - < 2002 8/7 >
この一週間はめまぐるしかったが、なかなか充実。名古屋ではすっかりかわはらさんにお世話になった。昔から話に聞いていた“戦後の闇市的味噌カツ&味噌おでん屋”に遂にデビュー、噂に違わずディープなお店にビックリ。東京にはありません(多分)、あんな店。

しかし、連日暑い!外を歩いていると、クラクラしてくる。というわけで先々週の金曜日の午後の事だが、ちょっと時間が空いたので、お茶の水ナルへ足を運んだ。するとライヴをやっている。あぁ、これが昼ナル(金曜の午後、コーヒー付き1,000円でライヴが楽しめる)か、と思い地下の階段を降り店内へ。

この日のライヴは、堀秀彰(ピアノ)さんのトリオ(岸徹至b、小松伸之ds)だった。クーラーの効いたお店で、ジャズのライヴを聴きながらアイスコーヒーをすする。しばしの休息、至福のひと時だった。演奏もよかったしね。

この日は更に、高円寺の駅前で同業者にバッタリ。一杯飲みに行きませんか、の誘惑に負けて、高円寺の行きつけの店Tへ。こういう企画やりたいね、ああいう企画はどう、などと仕事の話で盛り上がった。やりたいことはいっぱいあるので、ひとつずつ実現させて行きたいと切に感じる今日この頃…。面白いことにはなるべく首を突っ込みたいしね。

崎陽軒のCM - < 2002 7/24 >
昨晩テレビを見ていたら、あるCMにミントンハウスのクレジットが。えっ、と思いよく見ると、それは紛れもなく見慣れたミントンハウスの店内だった。ミントンハウスは以前も書いたが、横浜の中華街と元町商店街の中間あたりにあるジャズ喫茶&バーで、わたしが17歳から20歳くらいまでは、ほとんど毎日のように通っていた店だ。

続いて画面にはマスターの“おいどん”こと川上さんが登場、ほんとビックリした。なんのCMかチェックするとシウマイの崎陽軒のCMだった。さっそく、数人の友人にメールを送った。このCMは、いったいいつから放送されているのだろう?

昔は分からないことがあったら辞書を引けだったが、今は分からないことが会ったらインターネットで検索しろ、といったところか。さっそく「崎陽軒」で検索し、ホームページに飛ぶと、ありました、「新作CM」というのが。

「横浜の人篇」とのことで、しっかりと紹介されていた。放送は7月2日からとのこと。私が行き始めたのは、まだ開店して間もない頃だったが、もう開店して27年にもなると書いてある。うーん、月日の経つのは早いものだ。近々、また顔を出そうっと。

マイナスイオン - < 2002 7/23 >
それにしても、暑いなぁ。今年は梅雨の時期が涼しかったので、梅雨明けした途端のこの暑さは、結構身体にこたえる。今日は、目黒で舞台監督のT中さんと打合せをした。11月のローラ・グレコの公演に向けて本格的に始動といったところだろうか。

さて、かわはらさんがコラムページでマイナスイオンについて触れていたので、私も少し。テレビでも丁度やってたしね。

今の家庭の空気は、汚れていたり、電気製品の電磁波の影響もあったりで、プラスイオンが多いらしい。するとそこに住む人の身体もプラスイオンが多くなり、血流が悪くなって(所謂ドロドロ血)、疲れが抜けにくくなるそうだ。

家の中をマイナスイオンで満たすと、人の身体もマイナスイオンが多くなり、血液もサラサラ、さらにマイナスイオンは万病の元、活性酸素もやっつけてくれるとのことだ。マイナスイオンの多い場所として、よく滝や噴水の周りが挙げられる。家の中のマイナスイオンを簡単に増やす方法は、風呂場でシャワーを流したり、台所の蛇口をシャワーにして流すのがいいらしい。簡単にできることなので、早速今日からやってみようと思う。

ジム・ジャームッシュとアキ・カウリスマキ - < 2002 7/22 >
以前、ジム・ジャームッシュの4作品を収録したDVDボックスを大枚をはたいて購入、いつでも好きな時にジム・ジャームッシュの作品を家で楽しめるようになった。ボックスには、別売りの「デッドマン」のディスクを入れるスペースもあり、別途購入したその「デッドマン」、そしてニール・ヤングとクレイジー・ホースのツアーを追ったドキュメント(一種のロード・ムービーとも言えるが)「イヤー・オブ・ザ・ホース」と併せ、6作品を所有している。あと「ゴースト・ドッグ」を入手すれば、DVD化された作品が全て揃うことになる。

音楽好きで知られるジム・ジャームッシュは、自分の作品にミュージシャンをよく起用する。ジョン・ルーリー、トム・ウェイツ、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスなどがその例だ。単にミュージシャンを起用しているだけでなく、作品に使用する音楽もなかなか興味深い。いや、更に言えば、音が鳴っていなくてもその映像自体に、非常に音楽を感じることがある。その辺がジム・ジャームッシュを好きな所以かもしれない。

ジム・ジャームッシュと並んで昔から好きな映画監督に、フィンランドのアキ・カウリスマキがいる。彼の作品の初体験は「レニングラード・カウボーイズ」。それを映画館で観た時、クラブの支配人役が大好きなブルース・ギタリスト兼シンガーのデューク・ロビラードにそっくりなので、驚いてクレジットをチェックしたら、なんと本人そのひと。これには驚いた。あんなマニアックなアーティストをキャスティングするなんて!「マッチ工場の少女」などでみられる“乾いた笑い?”もジム・ジャームッシュと共通するものを感じる。

名前も同じなので(外国の友人・知人たちは私のことをアキと呼ぶ)親近感を持ち、その後は彼の作品も色々と観に行った。そしてDVDは出ないのかなぁ、と常々思っていたら、いきなり出ました。それもボックスが。これはせっせとお金を貯めて購入せねば、と節約を心に誓う今日この頃なのである。

夏本番!ビーチ・ボーイズを聴こう。 - < 2002 7/14 >
KAWADE夢ムック−文藝別冊として、遂にビーチ・ボーイズが出た。今回の監修は、スイングジャーナル誌の元編集長として高名な、中山康樹さんだ。中山さんはマイルス・デイヴィスとビーチ・ボーイズの著作で有名な方である。

本屋で見かけて即購入、パラパラと斜め読みしたが、さすが中山さん、この文藝別冊で過去に出版されたものと比べても、格段に内容が充実しているように思える。さすが、元編集者の面目躍如といったところか。

わたしが初めて買ったビーチ・ボーイズのアルバムは79年の「L.A.」だ。彼らの沢山のアルバムの中でも、下から数えて何番目かといった駄作であるが、なぜそんな作品を買ったかといえば、単にそれが久々の来日を直前に控えた彼らの最新作だったからだ。彼らは79年の夏に江ノ島で開催されたジャパン・ジャムに、ファイアーホール、ハート、サザンオールスターズなどと共に出演した。

わたしが、ビーチ・ビーイズにいっそう惹かれるようになったのは、その数年後、浜松町のメディア・バムでアルバイトを始め、そこで開局していたミニFMでレコードをかけるようになってからだ。夏休みになり、社員なみに連日、朝から晩までアルバイトに精を出した。レコード棚にあるレコードを片っ端からかけていったが、そんな私の目にとまったのが、74年に全米ナンバー1に輝き、ビーチ・ボーイズの音楽が未だに愛されていることを印象付けた2枚組のベスト盤「エンドレス・サマー」だった。

中でも、後に山下達郎もカヴァーした、「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」には痺れた。この名バラードは、あのジョージ・ルーカスの創った永遠の青春映画「アメリカン・グラフティ」のエンディングで使われた「オール・サマー・ロング」を収録した同名タイトルのアルバムに収録されている。

今でもこの曲を聴くと、あの頃(二十代初め)のことが色々と想い出されて、何か切ない気分になってくる。いよいよ夏本番、今年もビーチ・ボーイズを聴きまくろう。

頑張れ、リヴォン! - < 2002 7/9 >
電車の中で、パラパラとTHE DIG誌をめくっていたら、最近リリースされたザ・バンドの元メンバー、故リチャード・マニュエルのソロ・ライヴ・アルバム、およびザ・バンドの元メンバーたちの近況に関する、遠藤哲夫さんのコラムが目に入った。そのコラムの最後の方で、「気になるのはリヴォンの健康状態なのだが…(中略)…といったバンドでここ2年間活動しているようだが、喉頭ガンの影響で今はヴォーカルをとれないという話も聞いた。ただドラマーとしては、今年発売されたルイジアナ・レッドのアルバムにも参加し、あのドラムを聴く事が出来る。」とあった。

4人のカナダ人と1人のアメリカ南部人から成るザ・バンドは、中学・高校時代の私にアメリカ音楽、わけてもアメリカ南部の音楽へ導いてくれた恩人のような存在だ。初めて買った彼らの「ロック・オブ・ジ・エイジズ」という2枚組みのライヴ・アルバムで、ニューオーリンズの偉大なプロデューサー/コンポーザーのアラン・トゥーサンの存在を知った(彼はホーン・アレンジを担当)。トゥーサンを知ったことからミーターズを知り、高校時代に近所に初めてできた輸入盤レコード屋でミーターズの「ファイヤー・オン・ザ・バイユー」を購入、その後ニューオーリンズ音楽の沼地にズブズブとハマッて行ったのだ。

初めてニューオーリンズを訪れた91年のマルディ・グラの時、アール・キングのライヴで元ザ・バンドのロビー・ロバートソンを見かけ、記念写真を撮った(この写真はミュージック・マガジン誌に掲載された)わたしの次のターゲット?は、リヴォン・ヘルム。99年にニューオーリンズのジャズ・フェストに行った際、当時開店して間もなかったリヴォン・ヘルムの経営するアメリカン・クラシック・カフェ(ライヴ・ハウス兼レストラン・バー。今は既に閉店している。)に行き、リヴォン・ヘルムの姿を見ようと計画した。

ある晩、リヴォン・ヘルム・ブルース・バンドが出演することになっていたので、ひとりで店に向った。左側のバー・カウンターでビールを飲みながらライヴを観たが、リヴォンはドラムを叩くだけで、一向に歌おうとしない。途中ヴォーカリストを務めるリヴォンの娘も登場、リヴォンがマンドリンに持ち替えてフロントに出てきたので(ドラマーはもうひとりいる)、これは親子デュエットかと期待したが、結局リヴォンは1曲も歌わないままファースト・セットが終了した。わたしの直ぐ後ろで聴いていた、背の高い白人の兄ちゃんが、「リヴォンは歌わないのかなぁ」と声をかけてきたので、「いや、ぼくも彼の歌が聴きたくて来たんだけどね」などと話をした。

しばらくすると、ステージ上手側にある控え室から出てきたリヴォンの姿がチラリと見えた。こういう時は突撃あるのみ、と過去の経験から判っているわたしは直ぐに近寄り、ガードをしていたおじさんに「日本から来たジャーナリストです。少しだけリヴォンさんに会いたいのですが」などと適当なことをいうと、しばらくしてリヴォンが来てくれた。

聴きにきてくれてありがとう、と言ったリヴォンの声は完全に潰れており、弱々しかった。あぁ、これじゃあ歌えるわけないか、彼がガンであるという噂は本当だったんだな、と少し悲しくなってきた。しかし握手をした手はまだまだ力強く、写真も1枚撮らせてくれた。

あれから3年ちょっと、彼の歌は聴けないが、卓越したドラミングはまだ聴くことができるようだ。リチャードが逝き、そしてリック・ダンコも故人となり、わたしをアメリカ音楽へと導いてくれた師匠たちは5分の3になってしまったが、唯一のアメリカ南部人であるリヴォンには、まだまだ頑張って、深遠なるアメリカ南部の音楽の魅力を我々に伝えて欲しい。

リピーターを掴もう! - < 2002 7/8 >
金曜のレッド・ロータスのライヴは、事前に告知されていたアンプラグドではなく、目いっぱいアンプリファイドされたライヴだった。お店が小さく、エアーヴォリュームに限りがあったが、それでもあの店でこれ以上音量を上げるとハウリングを起こしてしまう、という一歩手前の音量で楽しませてくれた。また言うけど、もっともっとハチャメチャにハジケて!、これが今回の私からの意見(駄目出し)だ。でも、次回が楽しみ。

さて、こんな景気の悪い中、お気に入りのお店のひとつ、渋谷のオリエンタル・キュイジーヌ(アジアン・エスニック料理)のゴールデン・バーニングが先月、六本木に2号店を出した。代表の久保田さんは、私が17、8年前にかわはらさんと知り合ったお店、ハングリー・ハンフリーに勤めた後、独立して一昨々年にゴールデンを開店させた。渋谷店をオープン後、3年経たずに2号店をオープンというスピードだ。

ちょっと判りにくい場所にあるため、オープン当初はいついっても結構空いていたが、料理が美味しく、お店や従業員の雰囲気もよかったので、機会がある毎に利用したり、友人たちに紹介した。結局、紹介した友人・知人たちも気に入った人が多く、その後利用していますよ、とよく聞く。先週、久々に行ったが(開店1番乗り)、あっという間に満席になった。

今の不況な世の中、大切なことはいかにリピーターを掴むか、ということだと思う。レッド・ロータスの鈴木さんが、「今日のお客さんの半分は、先日のJZ Bratにも来てくれた人だ」と言っていたが、彼らも確実にリピーターを掴んでいるようで嬉しい。そして、ゴールデンの成功も、リピーターを掴んだ賜物だろう。まだ六本木店には顔を出していないので、近々行かなきゃね。


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